Essay
-酒と煙草-
004.カミュの呪い
Camus(カミュ)というブランデーをご存知だろうか?日本市場ではとても有名なコニャックだと思うけど、
それ以上に僕には特別な想い出があり、忘れられないお酒である。いや、想い出といういい話なんかではない。
僕はそれを「カミュの呪い」と呼んでいる。
Camus XO・スペリアはこの物語の主役である。
これはCamusのラインナップの中でも比較的(かなり?)高級なお酒で、そのボトルの形状をまず説明しておこう。
これは普通よく見られる縦長のボトルではなく、丸っこいダルマ型をしていて、そのふたもガラスでできている。
ボトルからしてなにやら高級感を撒き散らしているのだけれど、お店の棚でも最上段でスポットライトを浴びていた、
小憎らしい奴である。ただお客さんから声がかかることはほとんどなかった。高い酒は
バーで飲むともっと高くなる。
もちろん僕も飲んだことはなかった。なぜかって、お客さんが飲まないのでほとんど売上がない。というわけで
「味見」としても簡単にボトルの残量を減らせなかった。一日ボトルの半分ぐらい
売り上げるお酒ならちょっとぐらい飲んでしまっても大丈夫。しかしCamus XO・スペリアは違った。
飲んだことがなかったんだ。
ある晩、バーで仕事を終えた後、いつものように閉店まで残っていたバーテンダーはカウンター席に座り
お酒を飲んでいた。閉店後のバーのカウンター席で一日の疲れを癒すというのは贅沢な時間である。
ただ、下っ端の僕は閉店後もカウンターで、先輩バーテンダーへ給仕をしていたことはこの際忘れよう。
さて、僕がカウンター(の内側)で飲んでいると、カウンター席からCamusのXOが飲みたいという声があがった。
あまり出ない酒である。しかし「ま、いいじゃない」ということになり、
小柄な僕はちょっと背伸びをして(ほんとはおもいっきり爪先立ち)最上段の棚のCamusに恭しく
手を差し伸べ、カウンターに置いた。
そのふたは冒頭でも書いたけど、ガラスで作られている。ただボトル本体との接点はコルクになっている。
そんなガラスのふたををおもむろにひっつかみ、きゅっと引っこ抜いたつもりがあまりの手ごたえに躊躇してやめてしまった。
「硬い・・・。」ほとんど、というかまったく注文が入らないからふたを外すことはまずなく、
そんなわけでふたが外れにくくなっているのであった。
なにせ高級なお酒である。それを味見のために力任せにふたを引っこ抜いて、ボトルをぶっ壊してしまう自分を想像して
あっさりと先輩バーテンダーにCamusを委ねた。その生意気なふたは、先輩の手にかかってもだだをこねていたが、ついに
きゅぽっと音を立てて抜けた。こぽこぽとブランデーグラスに注いだ後は、閉める番である。
ただそのときは何も考えていなかった。コルクが弱くなっているボトルのふたを開ける時はコルクを崩さないように気をつけるが、
栓をするのは比較的安全であるからだ。
僕はおもむろにそのガラスのふたを手に取ると、恰幅のいいまんまるボトルにぐいぐい押し付けた。ただ抜けにくかった
ことから分かるように、そのコルク部分がちょっと栓の幅より太くなっているのだろうか、うまく差し込めなかった、
と思うか思わない瞬間、そいつはつるっと僕の手から滑り落ち、カウンターの床に着地し、ぱかっと
二つになった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その時その場に満ちた雰囲気を表現するには、無限に続くかと思われる沈黙が適している。
ただ僕の脳みその奥からは、幼少時代に流行ったガッチャマンの替え歌が、BGMとして流れていた。
「地球は一つ♪割れたら二つ♪」
僕は2つになったふたを拾うと、もはや元には戻らないと知りつつ、まごまごと接地面を合わせたりして、現実逃避をしていた。
そんな僕の姿を見ていた先輩は、「・・・・・・・」の点々を引きずって、おもむろにバーから出ると、その手にすばらしいアイテムを持って帰ってきた。
アロンアルファである。ああ、アロンアルファでカミュXO・スペリアのふたは生き返るのだ!
かくして2つになった地球、いやガラスのふたは、その接地面でぴたっとくっつき、もとの美しい姿に戻った。アロンアルファ万歳!
その復活したふたは、もとの豪華なボトルに収まり、恭しく棚の最上段に戻されたのだった。
ただ、ちょっと気になったのでスポットライトからは微妙に外した。うん、これでひびなんかに気づく人はいないぞ・・・。
それからというもの、仕事でカウンターに入るたびに、そのCamusの視線を感じていた。ああ、そんなに僕を
責めるなよ、おまえにだって責任はあるのだよ・・・。
そんな言い訳をCamusにしつつも僕は耐え切れなくなって、解決策を考えはじめた。もちろん解決策は一つしかない。
Camus XO・スペリアのボトルを手に入れて、ふたを取り替えるというものである。一番安くあげるには、
どこかで空いたボトルを手に入れる方法があるが、当然なかなか手に入りそうにない。
デパートに入っている酒屋さんを幾つか周ったあげく、ああ、手が届かない値段だと悲嘆に暮れていた時、
国道246沿いに、お酒を専門に扱う巨大なディスカウント・ストアーがあることを思い出した。
行ったことはなかったが、その大きさからしてきっと安く売ってるに違いない。
思い立ったが吉日。いや、ほんとは翌日だけど、僕はバイクにまたがり、颯爽とお店へ向かった。
店内に入るとあまりのお酒の量に驚き、思わずお酒鑑賞を始めてしまっていた。目的は一つじゃないか!
そうCamusを探した。有名なお酒である。苦もなく見つけることができた。しかも安い。こんなに安くていいのか。
こんなに安かったら、うちのバーはすごいぼったくりみたいじゃないか。デパートでは一応高く売られていた
Camus XO・スペリアも、国道沿いのディスカウント・ストアーではこの扱いである(あえて値段は書かない)。
しかしいくら安いっていっても、別に好きでもない高級酒をふただけのために買いたくはなかったのだが、
もちろん喜んで購入した。
自宅に戻ると、早速これまた豪華な箱からCamus XO・スペリアのまんまるボトルを取り出し、目的のふたをもぎ取った。
その代わりにはサランラップで十分だ。
ふたさえあればいいのだよ。ふたさえあれば。ふたをかばんに詰めると僕は再びバイクへまたがり、バーへと向かった。
善は急げである。
その日は非番だったのだけれど、開店直後の店内に入ると、アロンアルファで見事修復をほどこしてくれた
先輩にそっと新聞紙にくるんだふたを無言で手渡した。「?」という顔をされたが、ちらりと中をみると、にやりと笑いを残して
、バーの奥に消えると、もとの新聞紙を返してくれた。その中には、アロンアルファで復活したふたが
収まっていた。これで任務完了。もう酒棚の最上段のCamusの視線から解放されるのだ。
その時のアロンアルファで見事復活を遂げたふたは、当然自宅の新しいCamus XO・スペリアのボトルに収まった。
特に好きなお酒ではないが、見栄えはいい。飲むこともなく、自宅の本棚に飾っておいた。
この時点で気づくべきだったのだ。高級コニャックのCamus XOである。そのような扱いを受けて、そのプライドは
ずたずたであっただろう。僕の部屋の本棚から、ずっとそのときを窺っていたのだ。
ある晩僕はCamus XOに手を伸ばした。
そのころ僕はバンド活動を趣味でやっていたのだけれども、翌日にライブを控えた夜だった。
自宅で一人ではあったけど、なんとなく景気づけに飲みたくなったのだ。
僕は棚からCamus XOをぞんざいにひっつかんで取り出すと、ぐいっとそのガラスのふたをひっこぬいた。
ちなみにバーテンダーは普通ボトルのふたを開けるとき、ボトルを右手に持って、左手でふたをとる。
そのまま右手でお酒を注ぐ一連の流れをくずさないためである。
ただ、そのとき何故か僕は右手でふたをひっこぬいた。
そして、右手のなかで再び二つになったガラスのふたに気づいた。
ふたをテーブルに置くと、ばっくりと割れた僕の右手を見つめた。正確には右手の親指の付け根である。
痛みはない。あまりに鋭利なガラスで瞬間的に切ってしまったからだろうか。親指を反らして傷口を開いて見てみる。
白いものがみえた。骨かな・・・。その時点でようやく血の気が引いてきた。なんとなく傷口を洗いかけたけど、
怖くてやめた。救急車に乗るほどでもないよな・・・.だって俺普通に意識あるし・・・。指はまだ付いてるし・・・。
その夜は右手をハンカチで縛って無理やり寝た。
翌朝病院に行って3針縫った。どうしたんですか、と当然の質問。返答はもごもごと濁しておいた。
切ったときよりも治療のほうが100倍痛かった。
今でも残る右手の親指の針の跡を見るたびに、僕はこのストーリー「カミュの呪い」を思い出す。
ところでその日のライブはどうなったのか。僕は治療が終わるとリーダーに電話をした。実は右手を怪我してね。
うん。ギターを弾けそうにないんだ・・・。彼の返事はというと、といっても出ないわけにはいかないからなあ。そんだけ。結局
ライブハウスに行くことになった。出演時間は深夜の2:30ぐらいだったかな。痛み止めを飲んで、
傷口を消毒して、包帯できつく縛ると、うまいぐあいに親指と人差し指の間にピックが納まった。
あれ?弾けるかも。
その当時僕はかなり激しい音楽を演奏していたのだけれども、右手の包帯って演出ぐらいにしか思われなかったのはないかな。
Smokin' & Drinkin' Limited/mist@blackash.net