ファミリーマートで捕まえて

〜Dreaming〜




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Last Smile

〜Dreaming of You〜
メモ。
机に置かれたメモ。
バカみたいに強くされたエアコンの風に吹かれて揺れている机の上のメモ。


それは、幾度も幾度も繰り返しささやいて。


「あなたの心を、教えて」


女の子の声が、確かに聞こえて。
一度は砕け散った希望。その欠片が涼やかに、彼女の声を私に聞かせてくれて。
セミロングの黒い髪を後ろで二つに束ねてファミマの制服を着た、あの女の子の声を、私に聞かせてくれて。


「44」が最初に来る電話番号。
それは、最後の希望の欠片。女の子が私に残した、彼女の最後の心。


「あなたの心を、教えて」


待ってて。
もう、遅いかもしれないけれど。きっと、怒ってると思うけど。


今、電話する。電話するよ。
何でもするから。
謝るから。


声を聞かせて。


あなたのきれいな声を、私に聞かせて。




受話器を手に取って。
ダイヤルボタンを押して。


国際電話。電話のベルが鳴るまでの時間が本当に長くて。
けれどそれは胸の鼓動を落ち着けるには余りにも短くて。
電話のベルの音が鳴ったこと。
それを、今、私は思い出すことができませんでした。




そして。
唐突に、幕は上がり。




『Hello?』


英語のあいさつ。


うわ。


いきなり現実に引き戻されてしまって。
そう言えばイギリスにかけたんだって。時差はどうなってるんだ? そもそも、自宅の電話だったらどうする? 彼女は絶対に電話に出るのか?
いつもならかける前に考えておくことを、その時は、全然考えてなくて。


「・・・」
思わず、無言。


『...Hello?』
じれたような声色で繰り返される英語の「もしもし」。
それは、女性の声。
確かに、女性の声。


そして、恐らくは・・・




「44」が先頭に来る数字の羅列が、私の望みへと一直線につながったこと。それを確信したその瞬間。


『Hello?』
3度目。かなりじれていて。もう切られてしまいそうな雰囲気で。


待って!


「ハロー?」
声が、出て(でも日本語っぽくて)。
それで、私は一気に、そして初めて、自分の名前を告げたのでした。




電話口の向こう、息をひそめた気配。
そして・・・


『もしかして・・・ かけてくれたの?』
彼女の声は、電話口でも彼女の声でした。




「・・・よ、よかった。親御さんだったらどうしようとか思った」
まともな会話の最初にしては随分間抜けだったけれど。
彼女は、くすっ、と笑ってくれて。
『今、何か近所にあいさつに行ってるよ』
「あ〜よかった・・・ あ、そっちって今何時? 昼間?」
『・・・んもう。確かめてかけたんじゃなかったの? こっちは午後の5時くらい』
「ああ、そっか・・・ えーと9時間だったっけ」
『うん』
「そっか」
『ついでに、まだ31日だよ?』
「え・・・? あ、そっか。まだ年は明けてないんだ」
『そ。まだ大晦日』
「はぁ・・・ 何だかねぇ」
2人の間では、時間軸が確実にずれていて。
それに気付いて、思わず、また無言。


『・・・あ、あの、そっちはどうなの? 無事に年は明けた?』
「多分ね」
『紅白はどっちが勝ったの?』
「あ、見てないな・・・ 仕事してたし」
『大晦日まで仕事?』
「会社で年越しかと思った」
『う〜。身体、大丈夫?』
「何とかね・・・」
『気をつけてよね』
「そうします」
『・・・』
「・・・」


つながらない、会話。


消えゆく言の葉。
散り行く吐息。


2人の想いが同じところにあるのに。


「あのさ」
『あのね』
「あ、ごめん。どうぞ?」
『ううん。そっちからどうぞ?』
「あ・・・ いや・・・」
『・・・』
「・・・」




『・・・もうそろそろ、帰ってきちゃうかも。今日は家族でニューイヤーパーティやるって言ってたから』
「・・・あ、ごめん」
そっけない口調。
その中に、それでも見える彼女の心。




「あなたの心を、教えて」




そして。
彼女が、とうとう口を開きました。


息を吸い込む音が、聞こえました。




『憶えてる・・・?』
「・・・クリスマスのこと?」


『・・・あたしね、怒ってるんだよ』
「うん」
『本当に、怒ってるんだよ』
「うん」
『だって、あたしは言ったんだよ?』
「・・・」
『最後になっちゃったけど、ちゃんと言ったよ?』
「・・・そうだったね」
『それなのにさ・・・』
「俺は、言わなかったね」
『・・・言わなかったの? 言えなかったの?』


声のトーンが、かすかに揺れて。


『・・・ホントはあたし、あなたの方から言って欲しかったのに』
「そうか」
『何でもいいから、あなたから何か言って欲しかったのに』
「・・・」
『どうせなら・・・』
「・・・」
『どうせなら、振られてもいいからあの時に答が欲しかったんだよ』


一瞬だけ、それでも確かに聞こえたのは、ひきつった声と、鼻をすする音。


『ホントね、すっごくね・・・ あたし、怒ってんだからね』
「・・・悪かった」
『もう、あのあと、絶対に許さない、って思ったんだからね』
「・・・そうか」
『だから、もうバイトもすぐにやめちゃったし』
「そうだったね」
『もう、プレゼントも捨てちゃおうとか思ったし』
「そっか・・・」
『あ、一応お礼言っとくね、クリスマスプレゼント。指輪、どうもありがとう』
「い、いや、別にいいよ」
『言っとかないと気が済まないから』
「そっか」
『でもさ・・・ ホント、ひどいよね』
「・・・」
『結局さ、何も言ってくれなかったもんね』
「・・・ごめん」
『あのさ、訊きたいんだけど』
「なに?」
『あたしが待ってるの、知ってたの?』


・・・そんなこと。


ずっと前から知ってたから。


だから、何も答えられずに。


「・・・」
『あーあ。何だかなぁ』
「・・・」
『サイテーだよね』
「・・・」
『知ってて言わなかったんだね』
「・・・」
『気持ちを知ってたのに言ってくれなかったんだもんね』
「・・・」
『答えてくれなかったんだよね』
「・・・」
『やっぱ、どーでもよかったんだよね』
「そ、そんなこと・・・」
『じゃあ何で何も言ってくれなかったの?』
「・・・」
『あたしはどこまで言えばよかったの?』
「・・・」
『全部言わなきゃダメだったの? 今のように!』
「・・・」
『そうだよ! あたしはあなたのことが好きだったよ!』
「・・・」
『ずっと、ずっと好きだったよ!』
「・・・」
『誕生日プレゼントもらった時なんか、死ぬほど嬉しかったよ!』
「・・・」
『イギリスに行くって話聞いた時、あなたのことが一番に・・・ 最初に思ったよ!』
「・・・」
『コンサート、すっごく幸せだったよ!』
「・・・」
『ランドマーク、すっごく楽しかったよ!』
「・・・」
『何なの? こうやってはじめから言わなきゃダメだったの?』
「・・・」
『ファミマであなたと初めてしゃべった時に、言わなきゃダメだったの?』
「・・・」
『ファミマであなたを初めて見た時に、すぐにあなたに話しかけた方がよかったの?』
「・・・」




言葉は消えていって。
どこかに吸い込まれるように消えていって。




『ねえ、何か言ってよ!』


『ねえ! 黙ってないで何か言ってよ!』


『何で黙るの?』




あの視線。あのまっすぐな、全てを貫き通す想い。
想いがあふれて。身体中から想いがあふれて。




『聞いてるの?』


『都合悪くなると黙るの?』


『それってずるくない?』


『ずるい・・・ ずるいよ!』




あふれた想いは全てを染めて。
世界が歪んで。




『何か言ってよ!』


『黙んないでよ!』


『ねえ! 何か言って!』


『言って!』


『言ってよ!』


『声を、聞かせて!』




そして。




想いははじけて。




全てが、白い光に包まれて。






それは、涙色の声。






『あたしね・・・』


『今ね・・・?』


『こんなに、声が聞きたいの・・・』


『電話、すごくうれしいの・・・』






『だから・・・』




『だから・・・』




『お願い』






『声を』






『聞かせて・・・』













静寂が、まるで織り重ねられた繭のように二人の周りを包み込んで。




声は、聞こえない。




何も、聞こえてこない。




けれど。


彼女は、その時。


きっと、送話口を押さえていたのでした。


必死に、押さえていたのでした。




聞こえないように。


ほつれていく想いを聞かれないように。






そして。


私は。






「・・・ねえ」


一瞬の、間。


『・・・なに?』




「まず最初に・・・ さ」


『・・・』


「謝らせて」


『うん・・・』


「ごめんなさい」


『うん』


「ごめんなさい」


『うん』


「ほんとうに、ごめんなさい」


『うん・・・』


「そして・・・ ありがとう」


『うん』


「ほんとうに、ありがとう」


『うん・・・』




吹くはずのない風が、二人を包む繭の糸を、少しずつほどいていって。




「そして・・・ ね?」


『うん』


「一番、言いたいこと」


『・・・』


「一番、伝えたいこと」


『うん』


「あなたに、ずっと、ずっと・・・ 言いたかったこと」




糸は、風に吹かれて消えていって。




『・・・なあに?』




2人は、今。
お互いを目の前に見て。







「私も・・・ あなたが、ずっと好きでした」


「ずっと、ずっと・・・ 好きでした」




「そして、今も」






「今も、あなたが好きです」










声が、震えて。
それは、どちらの声か、わからなくて。


それが声だったかどうかもわからなくて。


それでも、確かに。
2人はその時、同じことを想っていて。






そして。


今度は確かに詰まった声で。




『・・・ねえ』
「・・・なに?」
『あたし・・・』
「うん」
『あたしね・・・ なんか今・・・』
「うん」
『なんか・・・ もう、だめ・・・』
「どうしたの?」
『だめ・・・ もう、動けない・・・』
「え?」
『もう・・・ ね・・・ わかんない・・・ なんか、もう、ほんとうれしくて・・・』
「・・・」
『もう、だめ・・・ 力、抜けちゃったぁ・・・』
「そ、そっか」
『なんか、すごい・・・ ね。もう・・・ すごい、涙・・・ でてるの』
「うん」
『すごいね・・・』
「うん」
『ほんと・・・ なんか、すごい・・・』
「うん」


『・・・感動しちゃった』
「・・・そっか」




『ねえ』
「なに?」
『あたし・・・ やっと、ね?』
「うん」
『やっと、日本から離れた、って思って』
「・・・」
『あたし、置いてきちゃってたから』
「・・・」
『一番大切なもの・・・ 置いてきちゃってたから』
「・・・」
『でね』
「うん」
『やっと、これからなんだな、って思った』
「そっか」
『これから、なんだ、って』
「うん」




『ねえ』
「なに?」


そこで、彼女が少しだけ言いよどんで。
そして、息を吸い込む音が、電話線を通ってきて。


まっすぐに、声が。
頭の中に直接、伝わってきて。




『これからも・・・ よろしくね?』
















年が明けても相変わらず忙しかったけれど、最近はそれでも早く帰ることができるようになっていて。午後9時ころに帰宅できる日もあるのです。何と素晴らしいことでしょうか。


そして。
早く帰ることができた日には、私は、帰りがけに近所のファミリーマートに。
緑色の看板が輝く、ファミリーマートに。
「いらっしゃいませ!」
迎える声は、店長。
スーツ姿の私を見て、にっこりと笑いかけてくれました。


相も変わらず、私は飲み物とゼリーと、そしてセーラム・ピアニッシモ。
レジに持っていくと、店長が元気よくお辞儀をして。レジを打って。
「お疲れさまです。 ・・・今日は、早いんですね」
「ようやく、何とか仕事が回るようになりまして・・・」
「そうですか。それはよかったですね」
手早く、ビニール袋に品物を入れて。
「はい、どうぞ」
「どうも」
ちょっと一礼して、自動ドアを出ます。
「ありがとうございました!」
送り出してくれるのも、店長の声で。




彼女は、もうここにはいないのだった、ということ。
それを、ふと思う時があって。




冷たい風の中。
私は、金色のネクタイピンに、そっと触れました。
それは、彼女が残していった想いの一つ。
紙袋に無造作に入っていた箱の中に、けれども大切に、大切に残していった想い。


彼女の想いが、私の胸で輝いて。
ほんとうに堂々と、思い切りきれいに輝いて。


それはまるで彼女の笑顔のように。




家のドアを開けて。ベッドの上にコートを放り投げて。スーツから部屋着に着替えて
そして、私は、パソコンの電源を入れます。
少し古くなったハードディスクが、ちょっと危ない音をたてて。


そして、私はメールをチェックします。
最近、それが本当に楽しみで。


着信を知らせる音が鳴り。
ファミマの袋からジュースを出しながら、私はモニタをのぞき込みました。




それは。
もう、見慣れた名前。




『件名 : デジカメ買ったよ〜』




私は、思わず微笑んでしまって。
そして、そのメールを見るのです。
日本時間の午後5時ころに着いたメール。イギリスでは、朝の8時で。




『おはよ〜
そっちはお帰りですか?
なんか今、遅刻しちゃいそうです

それで
デジカメ買いました
これで私の元気な写真が送れるぞー\(^◇^)/
とりあえず、いっこ送ります
学校帰りにとったんだよ
これを見て、私のことを思い出してね
忘れちゃやだよー(T_T) 』





忘れるわけ、ないでしょう?
思わず心の中で突っ込んで。




『なんてね
そんなことはないと思うけど
それでも、毎日言うからね』







『あなたが、大好きだよ』






『きゃー遅刻しちゃう
それじゃ、またねー』





そして。


添付されているのは。
きっと、彼女の輝くような笑顔。


ファミリーマートで私が捕まってしまった、あの、輝くような満開の笑顔。






セミロングの黒い髪を後ろで二つに束ねて。
もう、ファミマの制服は着てないけれど。




あの女の子の。






輝く笑顔。






F i n


monologue