菜箸の先っぽがよごれているのに気がつくようになったらおとなになったしるしです。チョコレートのカカオの割合を気にするようになったときもそうです。おとなになったらカトラリーケースをどれにしようかなって思えるようになります。けれどおとなになると、みにくいひとは銀の食器でやけどするのでレストランに入れませんし、きれいなひとはレストランに入れるけどテーブルクロスの上にパンくずをこぼすと首をはねられます。こぼれた血はワインになって瓶詰めされて店に並んで、すこしでもきれいになりたいみにくいひとが買っていきます。
一面の草原とか広めのステージでくるくるとひとりだけで踊りながら歌っているMVをどうしても正視できない理由を探しています。輪切りのフルーツショートケーキを直視できないのと同じかもしれません。夜にベランダでココアを飲むのは小説だから許されることを忘れたわたしは今日もやけどして洗いものしかできなくて、せめてみじかいいのちをはかないって言ってもらえるようにチョコレートをとかしてさかさのマグに入れたら、震えが止まったその子がにっこりとわらってテーブルから飛びおりてにぶい音を立てました。
いいたいことがいえなくて声が詰まって星空に聞かせたくないのです。ずっと先の約束を思い出しては涙も声も枯れて、蒸発した水晶が葉脈に沿って流れたら青い花が咲きます。永遠ということばはとても簡単に永遠を表すからだまされる人が多すぎて、ふと足を止めたひとが持っているものをうらやんでやまないのです。酸素を使い切った血の色の方がとても血らしくて、それを葉っぱに流して色を変えることができれば、振り返らなくてもその一瞬を手に入れることができますか。