白紙よりも文字が書かれた紙の余白の方が静かな気がします。地下鉄の階段を早足で降りるときに吹き上げてきた風が紙を飛ばして、その時に散らばった文字がこれから降る雪の結晶のまんなかになります。文字は文字だけでは音にならないから、雪は静かに降るでしょう。子供のころに雪を食べて怒られたのは、そのなかの文字がおなかのなかで集まってなにか意味のある言葉になるとそれが口癖になることをおとなは知っていたから。いい言葉とわるい言葉の比率ってどんな感じだと思いますか? 思い浮かべた数字が、あなたとわたしがつながる確率。
勘違いしないでほしい。わたしがあなたというときは、ほかのだれでもない、この文字を見ているあなたのことを呼んでいるのです(誰も見ていないけど)。その文字に、その絵に、その写真にある花や雪やわたしは、あなたの目に入るときはもう枯れているし、溶けているし、死んでいる。わたしに取り消し線をつけてもいいですよ。どうせ今この文字を書いているわたしはそこにはいない。そこにはあなたしかいない。からだに二本の線が刻まれたわたしは、きれいですか。
生きているひとよりいなくなってしまったひとの方が多いことに気付けば、世の中の仕組みがすこしだけわかるような気がします。世の中はただでやらなければならないことがたくさんあって、その多くはもういないひとやものを悼むために、またはこれからいなくなるひとやものをきれいにするためにあるのです。わたしはきれいになりました。だからもうあなたのことがすきになれないのです。これからいなくなるあなたのために、わたしはただで文字を書いています。受け取ってくれますか。いらないならいいです。きっとそれはまた雪の中へ。
あなたへ。そこは寒いですか?