わたしは空を見あげているけど、空はなにを見あげているんだろう。それはきっとさえぎるものがない宇宙に広がる満天の星と、その星にわたしたちが託したどうでもいいごみのような願いや思い。スペースデブリっていうんだって。たまにぶつかるたびに空き缶が鳴るような音が響いて、空もためいきをつきたくなるというもの。やがて星は雲に隠れて空が暗く閉ざされて、わたしたちは思いを託すものを失って、電話をかけても太陽も月もだれも出なくて、ビー玉が転がる坂を巻き戻って歩くことでしかこころを平穏に保てなくなりました。
戸袋っていう言葉はまさにそれって感じがして、袋っぽい袋じゃないのに扉に対してはきちんと袋でいるその姿が誠実で頼りになりそうで、だれかをすきになるのがあたりまえでなく特別なことになったって気づいた今ならちゃんとまっすぐにこれからあたたかくなるこの気持ちを伝えることができます。そっと後ろで支えてくれるひとがすきっていうひとはきっと戸袋のことがすき。電車でいつもどきどきするのがたのしみで毎日出勤するようになりました。でもぜったいに冒険はしないで、手を引き込まれないように。
たとえばいまわたしの頭のなかで鳴っている「ド」の音をどうやってもあなたに伝えられない文字という欠陥技術をかたくなに使いつづけて、なにかが始まるのを期待してたのにずっと待たないといけない置き配のダンボールは雨に濡れてそこにあります。軌道から外れた思いはどうしたら届くのでしょう、ためいきはふっとまるまって空にうかんで、あなたと周波数が食い違って缶からとび出した薄荷飴が星くずにぶつかって落っこちて転がって、向こうの四つ角でくだけて消えました。わたしはどこにいったと思いますか。