輪郭を描かないこと、ぼんやりとひとかけらずつ沈んでくる声はどこにあっても薄墨色に冷えていて、やっと超えた線の向こう側の空気をすくい取って薄めてしまうのです。それでも線でないところなら静かに座っていてもだれにもとがめられないはずでした。ひとをよむなんていままで考えたこともなかったのです。けれどすずかけのこころはちりんとひとつ鳴って、立ちのぼる煙がほのかに白く透けているのに気づいたときだけそこにたどりついて、うるんだ低い山がいつか色づいたときのことを考えています。
息を抜いた歌の暗いところをそっと触って安心して、爪のカーブをなぞった後にすこしの段差をめぐるのと正しい姿勢で書いた文字を比べたらきれいな三日月の模様になって、みんな抱きしめた夜がどんな温度でも手放さないでいてほしいのです。朝になってわかしたお湯はなんとなくなめらかに胸のうちをずらしてこころの置き場所を見つけてくれました。なくしてしまった本の帯のこと、顔を洗ってストレッチしているときに思い出して重ねたページにひとつ、それだけではきっとほこりを払うことができません。
空に上がって体にこもった熱にまるくなったまま、目を閉じた蛍光灯の残像のまんなかにもう戻れないなにかがあったら選ぶことができますか。汗をかきたいのに昼間の布団の中はとても生ぬるくねじれていて、数えても増えないこころは柵の前でおびえるばかりです。走るうさぎがなんども振りかえってちらちらと誘ってきます。枕元の時計がデジタルでよかったとほっとして足を伸ばしたらつま先が思い出のないころの夢の中に、なにも入っていない植木鉢をどうしようかずっと迷っていたときと変わらないまま。