光の加減でうつくしくなったりみにくくなったりするひとやものが多すぎるから真実を探すのをあきらめて、みんなそこらへんにある事実だけが正しいって片づけるようになりました。事実があることだけがすべてだからわたしたちのこころの中にあるものはなにも意味を持たなくて、あなたが今日すれ違っただれかにときめいたこともわたしが明日きっとすこし不機嫌なこともべつになんの意味もないから、みんな考えるのをやめるか、考えたことをどんどん事実にしていくのが人間として正しいことみたいです。きっともうすぐに事実の洪水であふれてなにも残らなくなってしまう。
崩れかけた星の光の先に正しさがあるはずと信じて歩いてきたひとは、そこになにもないことをだれも証明できないから無駄かどうかなんてしらないまま傷ついてもずっと前を向いてうつくしいまま生きて死にました。ライムをひとくち含めばこの世界には意味のあることなんてなにもないことがすぐにわかるのにみんなレモンばかりかじってにがいにがいって文句ばかりで、あなたが画面の向こうにぼんやりとにじみ出る陸を見たなら、どんなときでも明日はかならず来るけどわたしが乗る船は来なかったことに気づくでしょう。あなたがこの世界になにかを残したいのなら。
横断歩道で立ち止まってはいけないってあんなにしかられたのに新しく敷いたアスファルトには星が隠されているって、いのちが短いことになにか意味を見出すことができたならだまされてみるのもいいかもしれません。そうやって花はひとよりもずっと意味があることに気づいたなら、ひとは歩くのをやめてそっと花を愛でることにこころを割いて、夕方にチャイムが鳴ったらやがて降りそそぐ星の灯りを入れるポットを持って空にひざまずくのです。それから日がのぼるまで忘れられていた花はひとにとって存在しないことになるから、夜の花には意味がありません。どれだけきれいでも。