子どもたちはみんな学校に行ってしまって、おとなたちがなにもわからずに右往左往しているのは冷たいと思われるかもしれないけど見てて楽しくて、半年に一回ごはんを食べるくらいの間柄の友人の愚痴を聞くときがこの世でいちばん無駄な時間を過ごしている感じがします。ケーキのスポンジがふわふわでいつもなでたくなるのをぐっとがまんしてるのですが、火の粉が降りかかる近さで誰かのために仕事をしているひとたちがいるからナッペができなくてもだいじょうぶ、やりたくてやってるのですし。
だれかを幸せにしたいって最初は思っていました。同級生にそういうことをしているひとがいて、ぜったいに代わることができないんだろうなってうらやましかったことをおぼえています。でも今はなにかをすればそれがだれかを幸せにすることができる時代になって、しあわせは板状になって欲しい分だけぱきっと割って配ることも、温めて溶かしてさっきのケーキに塗ることだって、それでだれかひとりでも幸せになることが確実なのですから、だれもがそうすればいいのですが。なんでだれもそうしないのでしょうか。
わたしの声に反応してロフトから降りてきたねこが看板をくるりとひっくり返して今日もお店がオープンしました。どうも雨が降りそうだけどがんばってなにかを変えられるなら苦労しませんから、おとなしく目覚まし時計を買い替えて挨拶ができるようにしたいです。月に一度はオフにしたって罰は当たらないはずだけど会える機会はできるだけほしくて、ディフューザーはどれもこれも香りが強すぎるような気がするから紙香くらいにしてみます。蛇の抜け殻は幸運のお守りって聞きますし。