そこにあっただけの空間に線のない花瓶の音にあわせて目線が上がっていって写真ではない作りたいものにあらためて変わるのを待っているだけでは左右でずれているグラデーションもざらざらしたちいさな舌でなめられてくすぐったさとほほえみをかさねたり帽子を切りとったり、てのひらにのこった海のあわをふくめて焼いたガラスのうつわのななめの奥行きがなくなって目の前で急に曲がった自転車のライトの反行がひけばひくほど輪郭をはっきりさせて、えらんだ理由なんていえないままわたしは泳ぎすぎたのです。
その口ぐせや教わったこと、すきなコーヒーやくちずさんでた歌をずっとおぼえていられないようにしてくださった神さまにこころから感謝のいのりをささげたらバスタオルにかくれて赤っぽくなった腕の内側にぽつぽつと置き去られたわたしの文章をお気に入りにしてくれなかった観客席で(さみしいのではなく)そこにいないことを強く感じています。目を閉じて顔を洗ったらていねいにかけなおしたしましまの毛並みをお日さまでふわふわにしてもらって、もう前髪にさわってばかりのひとではないのです。
きれいな花がどんなふうにきれいなのか分解してビビッドなオレンジがちょっとしたまなざしに入ってしまってもおおきな空をかきわけるくじらのからだはわたしをくるしいほどにまっすぐな今と未来でみたされた水槽から出してくれません。けれどもゆらゆらとゆれるしっぽはふたりの背中がない場所につれていってくれるからむすんだはずの声帯を冷蔵庫にしまったままそこにはない嘘と白いテーブルクロスに迷ってばかり、ぼんやりと三角形っぽい間接照明からはみださないソファとの距離をとった方が無害なひとになれるんだろうなとか思ったりするのです。
