ここは今までずっとここにあったって見てきたふりをするなら息を切らさずについてくる10年後の写真に貼りつけた傷をなぞっていくのでしょう。年を取ると影が長くなるそうですけど震える声もかすれていくならだれかの入口になれることだけでも感謝しなければいけません。ただ時間だけ進んでなくしたものが落ちたところに自分も落ちていく感覚が生あたたかいのがすべての原因なのだからガラスのコップの縁は必ず一点だけ光を貯めることを決して忘れずに、次のページはまだめくらずに。
わたしのいる場所の三角形のそれぞれの角度に手が届くまでまるい吐息のままいつか慣れてくれるのを待っているのに後ろに触れるマットレスと手前に触れる掛け布団のカバーが忘れさせてくれません。部屋のそこかしこに散らばったひとりぼっちのかけらをうまく片づけることができないおとなになってしまったから神さまにどれだけ祈っても冷たい椅子は静かにわたしを見つめ続けて、こんなもののためにだれも鎖で縛ってくれないならせめてかたちを作らずに離れてほしいのです。
もうすぐひとが近づく季節、窓の外では半分に隠した顔が通りすぎてきっと明るいままに雨が落ちてきます。手を伸ばして記憶に触れてくるひとにはしろい紙を、その手で記憶をつつみこんでくるひとにはくろい紙を、また会ったねとか言われても曲がり角の先にあるものは見えないのだから、秘密は秘密のままもらったプレゼントの箱ごとしまっておきましょう。繰り返しのボタンを押さなかった動画は割れてことばもなくなって、たったひとつだけ持っていたものがあったからここにいたのです。
