何も思い浮かばない夜には、少し薄着で外を歩くことにしている。右に左に車に注意、夜の川面のさざ波が見えなくなって久しい。コンクリートの両岸まで詰まった水の全部がずれるように動いている。斜めから指す街灯の光を頼りに、世の中がもう少し見えていたころのことを思い出す。中山美穂の訃報には息を飲んだ。その少し前、谷川俊太郎の訃報に詩集を引っ張り出した。クインシー・ジョーンズも、楳図かずおも、西田敏行も、中川李枝子も、大山のぶ代も、宇能鴻一郎も、アラン・ドロンも、ウィリー・メイズも、中尾彬も、唐十郎も、フジコ・ヘミングも、マウリツィオ・ポリーニも、寺田農も、いのまたむつみも、鳥山明も、小澤征爾も、篠山紀信も、みな今年亡くなった。もういない。
ここまで書いた翌日の夜、また同じ橋の欄干に歩いた。昨日は向こうからこちらに来る川しか見ていなかった。風が強いのに相変わらず川面に波は見えなかった。こちらから向こうに行く水は動いているようには見えなかった。目の悪いわたしは将来のことが見えないのだった。来年は誰もいなくならないようにという願いは叶うことはないのだろう。わたしがいなくなることもあるのだろう。明日は昼間にこの橋の欄干に寄りかかろう。水面はきっとよく見えるはずだ。
パトリツィア・ヤネチコヴァが1年前に亡くなっていた。世の中がどんどん見えなくなっていく。