アルミホイルの波にジャンプして飛び込んで、いつもとは違うポケットに入れた鍵を探すのが趣味になったらたのしいだろうなってときどき思うけど、鍵がもうひとつ増えちゃったらどうしようってなるからどうしても思い切ることができません。家電屋さんで展示されてるすごい高いテレビに映ってる感じのきれいな風景映像からどうぞ目薬を差してから見てねってお願いされたのだけど、素直にそうできないのはわたしがずっとなにもかもフィルターに通してから見たいって思ってきたから、ほんとうのものを見たらきっとなにも見たくなくなるって思ってるからかもしれません。
自分の名前がひとつの音になったらどんな響きになるんだろうって妄想するのはいいけれど、急にすごい音が出てきてもびっくりしないように準備しておきましょう。なんでもすぐエモいっていうひとは期待しすぎて、なんにも反応しないようにしてるひとは無関心を装って、クレーンゲームで景品を取れたらすごくうれしそうにした方がいろいろと得なのにすんってなっちゃうひとは思ってたのと違う音が出やすいかもしれません。ぜんぶをなくして、感情も心もなくしたって言い張っても音は音だから、生きている限りわたしたちは震えるものを拒むことはできないのです。
今日のランチは和食って気分だったのに食べた後にやっぱりパスタだったかもって感じでずれちゃったときにふと、余りものっていうけどいったいなにから余ってしまったんだろうって、なにかの枠に入りたかったけど入れなかったら余りものになるならそもそも入りたい枠なんてひとつもなかったんだからなんにも余ってないんだけどなって、それはぜったいにひっそりと胸のうちに収めておきます。ひとは隠しごとがあるとほほえむことができるって、見たくないものを見ても、なにかに震えてしまっても、なにかの枠の中からだれかが笑ってても、たぶんすこしだけ毎日がたのしくなるスパイスです。