朝方に歩く川にはさざ波も見えて、水が流れていることがわかった。ゆらゆらと動くその水底は見えなかった。飛び込んだらどうなるんだろうという想像が朝日に反射してリアルによぎっていった。人間だからしかたないという免罪符は誰しも使うもの。そう書いておくことで何もかもが許される気がするパワーワード。あまりに有名な相田みつをの「人間だもの」は商標登録済なので、皆が違う言葉を探しているけれど、やっぱり戻ってきてしまう。とりわけ、たとえば曲名がないこの曲のように、力強く直接的な主張の後にふと落とし込むと実に効果的だ。
透明な水が流れるところに行きたい。旅行に行っても何をしたらいいのかわからない。けれど、もうずっと前からバニーガールで吐き出すことができるような量ではなかった。積み重なった澱みは川の底に溜まり、浚渫するほかなくなる。水底など見えない方がいいのだ。汚いものしかないのだから。汚いものが溜まり切った川は、やがて川ではなくなる。人間も、おそらく。
さすがに最後に「人間だもの」で締めるというのは安直に過ぎる。別に無理に文章にオチを付ける必要はないはずだ。オチが弱くたっていい、人間だもの。