通りの窓に面した席がぜんぶ埋まってるなら入ってもいいのですが、そんなことを考えてるひとにひとこと言いたいことがありそうな茶色い扉が車に映って目の前をゆっくりと通りすぎていきます。おそろいの茶色いお辞儀はほんとうにきれいにひとをつないで、ことばを飲みこんでとまどいがちな袖を起こしたら靴をそろえて椅子に浅く腰かけて、たまに意味もなく髪を整える指に視線が落ちませんように。小さくなったオレンジとみかんはシーリングファンがなくてもかき氷のようにかすかに香ってくるのです。
大切なものを大切にしてくれるひとにはできるだけたくさん届いてほしいと思うのはうそではないのですが、まだ握手というものにぜんぜん慣れません。ぎゅっと握ったおおきな結び目はなにかを約束したしるし、片方の肩にかけた布がものを作るひとの文字を書く機会をなくして、体を回る糸が指先からどんどんほどけてほかのひととたくさんの縁を結んで、ひとはだんだん薄くなっていきます。もしひとの心臓の動く回数が決まっているなら、ひとの手を握ることができる回数も決まっているのです。
久しぶりに渦を巻いているガードレールのはしっこをおぼえていたら落ちていくことばもいっしょに連れていってください。望まなくても歌はひとの中と外を結ぶから楽しくないまま歌を歌うと楽しくない糸が聞いたひとの中に入っていって、しっぽがあるひとだったらそこにくるりと貯めてあとで切ってしまえばいいのですがそうでないひとはちょっと困ってしまいます。ぱちぱちとはぜる薪の輪郭があいまいなうちになにかをなかったことにできるならその身をくべてなにもないひとになりたいのです。