緑色

最近どうって聞かれるわたしがわるいのです。散歩中にあれって思って足元を見たら蹴っ飛ばしてしまったペットボトルのキャップが転がって追いついてきたこととか、いつものサイクルショップを曲がるところにいつの間にか伸びた植え込みの葉っぱがかぶってきて顔に当たることとか、よく行くコーヒーショップの閉店時間が1時間早くなってときどき間に合わなくてどうしようとか、そうやってそっと泡を流すたびに後ろを振り返ってもなにもないのにひとつのことばに立ちすくんでしまうわたしがわるいのです。

30分たったらきっと強くなるからそれまではノイズの中に、厚い本がいっぱい置いてあるならどこでも昨日をしまって明日をほどくリュックは肩掛けで、いろんな広告をめくってみるのが今日の楽しみだからソファはひとりで座るものです。線を拾いすぎないようにシンプルにカットしたレイヤーはどんな嘘にもきれいに重なる石をつづってわたしの背中を押してきます。なにごとも遠くから温めたり冷やしたりした方がいいと聞きますから足の爪はなんとかきれいにしようとがんばっていたのですけど。

なにかと開きにくいドアのななめ下に朝の光がまるくなって昼下がりの準備中、パレットに貼りついた絵の具のお引っ越しにはもうちょっと時間がかかりそうです。冷房を切ってわたしの気持ちも遠くに置いて、ただ水が流れる音がこんなに響くからだれかの目印には気づかないふりをして、移し替えた花瓶はそっと背中に隠したままでもいいですか。ところどころに残る芝生のような静けさを踏まないように、指先から消えていく輪を目で追って視線は空へ、もうしばらくしたら温度が上がってきます。