透過

道ばたで子どもたちがたのしそうに靴を飛ばし合っています。かかとをつぶしちゃだめって思うようになったきっかけはなんだったかおぼえていません。シンプルな時計の文字盤を外で見るとなんだか緊張してしまうからせめて指先くらいは鍵盤をすべらせて、子どものときに持ってたものをいつの間にかどこかに置いてきてしまって、あんなに持久走がいやだったのにおとなになるとなんだかたくさん歩いたり走ったりするようになるってあのころに知っていたらもうちょっとがんばったのでしょうか。

すこし静かな路地に入ったらハンカチがひらひらとちょうちょ結びに飛び立って、裏地の青をほうきで何回か掃いたような空にはまだところどころに子どもたちの足跡が残っています。今日は一日かすんだりぼやけたりして、夜明け前に目がさめて汗まみれの服を着替えて歯みがきしたらなんとかなるくらいのこころですが、いつの間にか足にできた紫色のあざに水を垂らしたらだめだってわかってても天気は変わります。何回手を洗っても檻の中にいられなくなったときからずっと。

だからひとが作ってくれた料理がおいしいとすごくうれしいのはただおいしいからじゃなくてそのひとがわたしの好みをここかなって見つけてくれたからでした。あんまりがんばりすぎると疲れてしまうって言われてもがんばらないとなにかよくないことが起こりそうだからそうするしかなくて、たいせつななにかを忘れているわけではないけど言い訳しているうちにこの手のひらの上にあったはずのものがなくなっていきます。ごみは洗えばきれいになるものなのでしょうか。