長い長いBのエリアを過ぎたら斜めになった展覧会の絵がひとの流れに飲みこまれてうれしそうにほほ笑んでいました。同じ名前のあの名画になりたかったのかもしれませんがゆっくりゆっくりと本望が薄れていって、風はいつも祈りを置き忘れて去っていきます。絵を描くひとと描いた絵の思いはぜんぜんいっしょにならないままもう半分が過ぎて、いつの間にかひとりでにこんなにきれいになってだれにも見られなくなりました。なにかを書いていると空を見上げることが多くなるかもしれません。
無意味なことはいやですというひとは電車に乗っているときもいそがしくしててえらいなってぼんやりと吊り広告を眺めています。駅に止まった電車の時間調整中にペットボトルを捨てに降りるのはすこし自信がないからプログラムされた合図だけを待って、ねこがくるっと床に着地するようにドアの横に立つひとを落ち着いてほめてあげましょう。右から左に進行方向とは逆の窓を抜けていく速度が結果だけを見て、行き先の表示がひとつ増えてたならきっといい一日になります。かばんの中の飴がべたべたになっちゃうかもしれませんけど。
夏の冷蔵庫にはレモン果汁、毎年なんとなく有機って書いてあるのを常備してますが味の違いは試したことがありません。だれかを前にしてだれかを後ろにするのを決めなきゃいけないすっぱさはレモンよりも梅っぽい感じがして、そうなると思ってたことがそうならなかった夜にふと見上げた空では湿った星が手をつなぎそうに、左の指先から気持ちを抑えて通りすぎる針と糸がスピーカーの前に置き忘れたものを見つけてさらさらと香る月の船に吊るしました。もうこれ以上多くを手に入れることを望んではいないのですから。