いそがしい朝にトースターの中の目玉焼きプレートをじっと見てしまって時短にならないのが最近の悩みです。間違って覚えてたことばを世界の反対側にほうり投げてもはずかしいのは変わらないけど、ひとりの時間がほしいのは隠れたいのではなくてほかのひとにそんなにリソースを割けないだけというひともいるのです。いつも不思議な話を聞きながらちょっと大きく切りすぎた根菜をぼんやりと下ゆでして、なにごともひとつずつってだれに言われたんだろうって思い出そうとしてもまっしろです。
夕方に散歩に行こうと思ってたのにずるずるとこんな時間、せっかく着替えたのに冷房を切った部屋で汗ばんでしまって外に出るならもう一回着替えないといけなくなるような一日は終わりにしましょう。幸せになるのがこわいのはその後の不幸がいやなのではなくて目立ちたくないだけなのかもしれませんが、そうやってすこしずつずれていく視線がなんでも緑色のものがいいって言うからおすすめで出てきたピアノと川のせせらぎの動画をぼんやりと流してたら歯みがきの時間がちょっと長くなりました。
なんだか疲れたから早く寝ようとベッドに横になってもぜんぜんねむれなくて、どうやったらねむれるようになるのか調べてたらいつの間にかカーテンから漏れてきた光にぐったりして、ひとが朝を好きではなくなっていく理由がよくわかります。けれどひととの距離をはかれないのはわからないのではなくてわかりたくないだけなのにそれはどこかの欠陥だって、いろんな気持ちはさっきの夜に溶かしてなかったことにしてきたのにこれから昨日行けなかった散歩の途中で落ち葉といっしょに足元に転がってきてまたわたしを見上げるのです。