細かければ細かいほど境目がはっきりと、たいせつなものは理由もなくめぐり合って、はっきりとした理由とともにどこかに行ってしまいます。歯磨きしながら考えごとをするとなぜだかデクレッシェンドがかかるから、寒くなってきたけど部屋から出てすぐそこの踊り場で空を見上げてぬくもりの入口を探すことにしましょう。やさしいピアノを聞いているとわたしなんかいくらでもあげられるくらい軽いものに思えてきて、つんとする忙しさの奥にかすかに香るのはだれの好きな花だったでしょうか。
やがて夜は終わっていくのにいつまでもそこにいたくてひとこともしゃべらなかったのです。心に記された文章の外でどうして後悔をちゃんとしてこなかったのでしょうか、ここからひとつふたつ上がって右に折れたところにある古いおうちがとおいとおいもうたどりつけない場所に思えるのです。いつだって見えなかったものが見えるようになったときはどうしたって遅すぎて、そうやってうつむいたまま誓ったことばかりどんどん増えていって、それがおとなになるということなのでした。
その先にあることがわからないまま一歩踏み出して同じ角度からカメラが2回逆にターンして、がまんして待っても来なかったことだけを見つめていたからこんなに痛いのです。強めにラインを引けるひとは長袖の風が冷たくなっても、弱いままのわたしは爪の違和感ばかりずっと、そうしてどのくらいたったら思い出になるんだろうって甘えてばかりで最後まで、さよならはまだ早いからタップをやめたら足りないものに期待するのもやめて、あたりまえのことだって忘れてしまいましょう。
