日々

たまねぎを炒めているときは心がほっとするから時短のレンチンなんてもってのほかで、ところどころに置き去られた風がくるっと回ってどこかに居場所を見つけるまではずっとフライパンの前です。ひとと関わらなければ汚れることなんてないと信じていたのに台所がすこしずつべとべとになっていくのが不思議で、それがどこから出てきたのかうすうす気づいてはいたのですけれど。ジェルのように重たい水が右に左に頭の中でゆれる日々、吐くものがなくなってきれいになれるまでもうすこしです。

夕暮れのうろこ雲と水平線の向こうから指先ではじいた隙間へ、さざめく呼び声はリビングのフレームの中にとじ込めておきたかったのに、白いテーブルにはものが多すぎて、黒い目覚まし時計は音が大きすぎて、あたたかい日は自分で作ればいいって子どものころに教えてほしかったのです。つけられた名前に引っ張られるくらいならかき混ぜられてしまっても、散らばって寄せては返す痛みに手を差し伸べるひとはいなくて、うす暗いビルの間の路地にまぎれ込んだ猫がたまにこちらをうかがいながら顔を洗っています。

かばんが軽いときは昨日に巻き戻って下りていく知らない駅の坂道がまぶしくて、ぱりっとした白いシャツが気持ちいい一日でした。みんなと並んでしゃべりながら歩いていてふっとひとりぼっちになって、流れる景色に正しくないコメントが流れていって、ついさっきまではしゃいでいた気持ちがくじらのように空に飛び立っていきます。線が細いのではなくてペンがかすれているだけだからどうか置いていかないでください。声は届かないかもしれないけれどおとなになってあたたかいスープを作れるようになったのです。