謹賀新年

一年の始まりには特別な言葉をしたためたいもの。そう思ってスマホに向かって、もうどれくらい経ってしまったのでしょう。昨日はあれから慣れないお酒を飲んで除夜の鐘も聞かずに寝てしまって、それで変に早く起きてしまって、なかなか書けないまま時間ばかり過ぎてしまって、休みの日は飲まないはずのコーヒーまで淹れてしまって、もう昨日から今日はなんだかずっとしまってしまって、こんなので偉そうに特別な言葉なんてとてもとても。はい、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

冬の空で思い浮かぶ色は北陸と関東で全然違って、希望が持てずにうつむいて前を見ていないのと、希望にあふれて空をあおいで前を見ていないのはまったく同じことでした。歩きスマホはどっちなのか考えるのは無駄でしょうか。冬なのに部屋で半袖で過ごしてごめんなさいと窓を開けると、空はどこかに行ってしまっていました。今日のわたしに見られたくなかったのかもしれませんが、あまり離れると夕焼けも来なくなって、きっと夜も来なくなります。希望と光に満ちあふれる空はみんなを狂わせるから、わたしは服を着ます。世界のために。

おわりのあとにはじまりがくるというのがいちばんわかりやすいのが年末年始だから、みんな昨日死んで今日生まれたことに気付いているのです。きっかけがあるとひとはなにかをするものだから、目標を立てるし、願をかけるし、おもちも食べるのです。昨日のおわりに長いおそばを食べて、今日のはじまりに長く伸びるおもちを食べて、ひとってみんな長いものが好きだから慶んで巻かれていくのです。冬にはロングコート。さて、お参りに行ってきます。