川のせせらぎの動画にだいたい小鳥のさえずりがセットになってるのを微妙に思ってしまうのはきっとなにかひとつのことしかやりたくないからだって、せせらぎの音がすこしこわくてときどき後ろを振り返ってしまうのだけどそこになにかあったはずなのになにもありません。ピアノの音だけの動画にしてみたら後ろになにかがずっとあるので安心して本を読み始めます。ページをめくる音をかき消してほしいのは散歩のときの足音を聞きたくなくてイヤホンをするのと同じかもしれなくて、ほんとうのなんとかって言うひとはぜったいに信用しないようにしましょう。
ドアノブにほこりがたまらないように毎日拭きたいから部屋のどこか目につくとこにダスターを置いておきます。おかげできちんとできてるけどきれいなはずなのにふとしたときにダスターが見えて微妙な感じになってしまうのをどうにかしたいです。だからヘアブラシの手入れも冷蔵庫の上の拭き掃除もノイズキャンセリングしてなにもかも忘れられたときに一気にやるようにしてます。だけどそうやって聞きたくない音を聞かないようにしてると頭の中がずっと水であふれて音がどこから来るかわからなくなる気がするのでほんとうはそうしない方がいいんだろうなって思います。
おとなになってなんでも好きなことができるようになったはずなのに子どものころにだめって言われたことを思い出してしまうと自分の好きなことがおとなの好きなことになるから、最期に読む本は好きなのじゃなくて読んだことがないのを適当に選びたいのです。ちょっと微妙でも今までおもしろくない人生だったんだから普通ってことだし、もしおもしろかったらやったーってしあわせなまま手を振っていけるって、だれかに作られた自分が選んだ愛読書じゃなくだれにもなにも言われなかったのを選ぶんだなんて甘い夢を見てしまうのは悪くないですよね。