わからないこと

あまいあまい果物のシロップ漬けを目の前に、別になくてもいい仕事をしているから直にいただくのは大罪だと思ってしまうのがわたしの悩みのひとつです。だれか知りませんか、どうやって幸せと不幸せの境界を区切ればいいのかわかりません。知りたければ世の中に必要な仕事をした方がいいのでしょうか。ひとのやっていることを「ただなんとかしているだけ」と極端にまとめて得意そうにするひとはただ生きてるだけのひとだというのはわかってるし、現実を見ろって言うひとは見てる現実がだいたい間違ってるけど、そんなひとたちが死んでもわたしにとってなんの得にもならないのが悩みのふたつめです。

サインペンで書いた文字は読めるのに筆ペンで書いた文字はうまく読めないのはリアリティがあるかないかの差かもしれません。コーヒーの淹れ方はお湯と豆の量とか円を描かなくてもいいのかとか結局どういうのがいちばんいいのかまだわからないけど、フォローしているインフルエンサーが二重をつくる努力を無駄って思わせようとするならすぐに外した方がいいのはわかります。そこに落ちてるものを拾わないのは自由だけど、枕が合わないと夢の向こうに落ちてる石を拾ってこれないから死んだときにわたすものがなくて困ることになります。そこにわたしを待ってるだれかがいるのです。

今の服はあたたかすぎてきっともうほんとうの冬の寒さなんてわからないけど、ほんとうの冬の寒さを知ってもわたしにはなにも生み出せるものがありません。信号を待ってるひとの8割はいつも自分のところで信号が変わるって思ってるけどほんとうはそんなことはなくて、お皿に落ちたトーストのかけらのようにちかちかとちらばる旅の思い出はできるだけ心のうちに収めて買わないようにって思ってうつむいて歩くから信号が変わるのがわからないだけで、もし神さまのいたずらだとしたらこんな自分を神さまが見てくださるとはなんてしあわせなことって思ってしまうのです。