夕まぐれにお茶をするときに寄りかかる気持ちとおなじだからバッドエンドのお話がすきっていうひとは今日も気まぐれを払うのに夢中で飲みわすれた薬が鏡の前で背伸びしてつつまれていくのをぼんやりと取り分けましょう。わたしたちはまだ昼を飾ることができないからしろい靴下をはいてくすぐったそうな歌に慣れてしまわないように、ほほえみがこぼれそうな声に油断しないように、さらさらの足跡は決してあなたのものではないのですから。それをたいせつにしたいなら毎日どこかで順番待ちの時間が必要なのです。
それだけでも甘えてみたくなるけどふり返るしぐさをできるだけきれいにしておきたいからもう少しがまんして、ハンドタオルのふちをほんのちょっとだけ自由にはじまりとおしまいを決めたら晴れも雨もさみしさだけになるから素敵だってうなずいてくれますか。続いていくわたしのわたしのそのまたわたしはとっさに抱きしめたクッションといっしょにどこまでも沈んでいきたくても複製したさよならをテープに録音する機械を持っていませんでした。繰り返す心臓の鼓動を着信音にしたってあなたには関係ないでしょう。
わたしの歌はどこが行き先でもわたしの歌といえるのでしょうか。付録がついてる雑誌の重みがすきなのにはずかしいからコンビニで買えないとかこんなありふれた季節だからちょっと飽きてきた普段着が着れなくなったりテラス席のお店に行かなかったりしているうちにできないことが増えていって、そうやってただ歩くことに意味を見つけようとしている自分がときどきいやになるのです。ねむる前の余白がいつまでもささやいてきたっていいんだと割り切れないならぜんぶ塗りつぶせばいいのですけど。
