横になってもねむれないのはどこかが痛いからではなくて今日の分のことばをきちんと使い切っていなかったからでした。やがて時計から外れた時間がシーツに沈むと真夜中に動けなくなってくらい部屋で目を開けたくないからただ二酸化炭素を吐いてすこしずつ昨日に戻っていきます。まじめに作ったごはんも読みかけの本もいったんおしまい、さむくなってもがまんするつもりだったのに淡い夢の上にくるくると回るうつつの瞳はかぎりなく透きとおる笑顔でわたしにさみしさを着せるのです。
いつだったか忘れてしまったくらい前に遊んだ足湯の熱がじんわりとまた痛くなってきてそれはたぶん行ったことのない三角座りをしていたときの思い出かもしれません。いつもの部屋の天球はだれかが撮った写真のように他人行儀で、いくつかのしあわせをそっと飾ったサイドテーブルが腕のかたちをした筒の影に貼りついて星のかなたにかすんでいくから朝になったらきっと片づけます。鼓動はふたつみっつとつながって、それでもこういうときに枕もとにかおるからだにすがるしかないのです。
ごめんなさい、だいじょうぶと背中にふれるてのひらのぬくもりよりもしずかに乾く窓辺の景色にたよってしまうわたしはよわいひとです。ちがう方を向いためまいは指のあとを残してぼんやりとしらない道沿いに明かりがならぶ楕円の視界のように、ひきずるひざをかかえながらさよならとつぶやいて、そうやってたとえるたびにさかさまにうつろう落葉がわらっているから永遠みたいなうそばかりついています。ずっとこのままここにいるのです、いたいのです。だから痛いのです。
