さかさまに泳ぐ花の影は16小節ごとにちりちりと鳴る鈴のしぐさに寄りそったまま天頂につながって、そうして今年は高めの体温の子どもがぱっと手を開いてわらったように咲いたのです。満開の桜並木の下を歩くと浮かんでしまうほほえみに名前をつけようとしたのはいくつのころだったでしょうか、だんだんその色がうすくなっているのに気づいたのはわたしが発車ベルの音から卒業した日のことで、それからどれだけ祈ってもほの白いかけらは足にからみつく子犬のようにからだを縛っていくのです。

去年もその前もずっとそうですけどやっぱり雨の日にくすんだ桜は肩の力が抜けていてわざわざそういう日を狙ってカメラを構えるひとにちょっといやそうな感じで濡れた髪をかき上げるのを遠くから眺めています。プライベートだって断ったことは一度もないって言ってましたけどいつだったかねむれないまま迎えた朝にぼんやりと見上げたらしかたないなって顔をして寝癖のまま風に吹かれて目の前を過ぎていったことがありました。花の房に当たらないように傘をすこしかたむけていれば戻ってくるのですけど。

せめてその近くで散りはじめた音は聞こえないふりをしてコンビニでお茶を買ったらひとりごとはもうやめて、わたしたちのことをおぼえていない桜の前でうつむくなんて決して許されないことだから、また道なりに(花びらを踏まないように)そっと歩いていきます。やがて雨がやんでもうすぐにみじかい季節が終わったらぬくもりは腕の中をすり抜けて、そうして振り向いたら前を向いているときとはちがう景色がぱっと広がるのを知っているから、だからまた来年ではなくてさようならというのです。