| 森内に先んじられて、しかしその翌年。羽生がとうとう、本当にとうとう、永世名人の栄誉を手にした。96年の7冠達成時は身震いしたもので、それこそ羽生の躍進の嚆矢と言える88年NHK杯での名人経験者を4タテしての優勝という快挙もしっかり憶えている身としては、この栄光に興奮が抑えきれない。永世6冠(永世名人・永世棋聖・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将)は当然史上初、後は永世竜王のみ、その竜王戦でも挑戦者決定トーナメントに残っており、今年度中の永世7冠すら期待でき、のみならずこの後すぐに王位挑戦者決定戦と棋聖挑戦第二局が控えているという今期の圧倒的な強さ。この強さはいったいどこから出てくるのだろうか…
本局の概要はこちらのページから。終了図以降は、△2三玉は▲2二金から簡単な詰み、△4四玉は▲7二角成が後手受け無しで先手玉は詰まず。 今回の名人戦、森内後手番の時の勝機のなさっぷりは特筆に価するだろう。森内は、後手番で羽生相手にほぼ何も出来なかったと言っていい。確かにこの両名、先手番が8割以上の確率で勝利するという偏りであるが、それにしても、である。他の棋戦であれだけぼろぼろに負けてまで研究に時間を割いている(と思われる)のだから、森内はもう少し何とかならなかったのだろうか。永世名人有資格者として不甲斐ないように思えて仕方がない。 対して羽生は、後手番の第三局、もはやここで私が解説する必要もないだろう、必敗の局面から鬼神が憑いたかのような驚異的な、泥の中からもがき這い上がるような粘りで森内を迷わせて名人戦史上に残るポカを誘発させ、そしてその後手番をものにした。諦めない。こう書くことは簡単である。しかし実際に諦めないこと、それはどれだけ困難極まりないことか。
つい一昨日の全米オープン、タイガー・ウッズも諦めなかった。そしてこの名人戦、羽生善治も諦めなかった。その分野での天才と言ってよい彼らが、その力をもってしてもなお、最後の最後に栄光を手にした原動力は「諦めないこと」だった。凡人の私が諦めてどうするんだ。正直に泣き言を漏らすと、この6月は今まで仕事をしてきた中で最悪最強のプレッシャーがかかり、恐らくはストレスからだろう、心臓はここ1週間ほど握り潰されるかのように痛み続け、毎日かく汗は典型的な脂汗で、異常な色と臭いを放っている。髪も髭も一気に白いものが増え、視界はもう左側が薄くなっている。自分が気持ち悪くて仕方がない。けれど、ウッズも羽生も決して諦めないのだ。こいつらに少しでも追いつくには、凡人から勝負を投げるわけにはいかないのだ。勝つまで続けなければならないのだ。当たり前のことに気付かないのはまさに凡人の不明、恥ずかしいことこの上ないが、それを恥とするならいくらでもすることにしよう。その代わり絶対に諦めない。私が白旗を揚げる時は、私が死んだ時なのだから。ほら、やよいの応援の声が高らかに、私の耳に届いてくる。フレーフレー頑張れ、さあ行こう! フレーフレー頑張れ、最高!
羽生、本当におめでとう。これからも素晴らしい将棋を見せ続けてください。
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