| 『呼吸器系の病気で入院していたプロボクシングの元世界ヘビー級王者、ムハマド・アリ氏が死去したと報じた。74歳だった。』 最近、そう、5月末ころから、彼の入院の報に接したからというわけではなく、なぜかふと思い出してアリの伝説を追いかけていた。youtubeの動画を何本も見ては、アリの偉大さをかみ締めていた。鈍重なヘビー級の概念を根底から変えてのけた「蝶のように舞い、蜂のように刺す」そのリング上で踊るようなフットワーク、傲慢という文字すら追いつかない暴言を並び立てるビッグマウス、それを実現する実力と精神力。 圧倒的不利の下馬評を覆し、若き豪打の王者フォアマンを老獪なテクニックで切って倒した「キンシャサの奇跡」。あの「ロープ・ア・ドープ」の戦法は、当初から予定していたのではなく、1ラウンド目に足を使ってみたはいいがフォアマンの圧力が予想以上だったこととリングが柔らかすぎたことから、作戦を切り替えたものだったそうだ。ロープを背にしてフォアマンの「象をも倒す」強打を誘うことはどれだけ恐ろしいことだったか。2ラウンド目から後はひたすらにいなし続けて我慢に我慢を重ね、フォアマンをスタミナ切れに追い込んだ。最後のワンツーが決まった瞬間の大歓声は、まさに世界を揺るがした、ほかに比べるものがないカタストロフィだった。奇跡とは蛮勇の果てにあるのではなく、人為と忍耐の先に待ち受けているものなのだろう。 機関車のように決して前進を止めない「スモーキン・ジョー」の二つ名を持つジョー・フレイジャーとの第3戦、「スリラ・イン・マニラ」は、人が持つ闘志というものの限界点を示した戦いだった。とにかく突進するフレイジャーを鋭いストレートで迎え撃つアリ、アリのパンチをもらっても機関車のように煙を吐いて前へ進みフックを叩き込むフレイジャー、互いの意地の張り合いで、後半にはもうふたりとも身体が動かず、精神力だけで手を動かしている状態だった。14ラウンド、最後の力を全て出し尽くしてフレイジャーを滅多打ちにしたアリは、最終15ラウンドを前に、セコンドに対して「もう続けられない。グラブを外してくれ」と伝えたそうだ。対してアリの猛ラッシュを耐え切ったフレイジャーは、その代償に(もともと左目がほぼ見えないままボクシングをやっていたのであるが、残る)右目の視力を失っていた。続行を主張するフレイジャーに対して、フレイジャーのセコンドは試合を止めた。勝利の宣告を受け手を掲げたアリは、そのままリング中央まで歩き、力尽きて崩れ落ちた。ボクシング史上最高の試合に挙げる人も多いこの戦いは、限界まで行き着いた人の闘志の姿を見て取ることができる戦いだった。
アリの偉大さは、リング上の姿ももちろんであるが、リング外で巻き起こした数々の事柄によるところが大きい。彼のベトナム戦争徴兵拒否が引き起こした影響は計り知れない。私はアメリカ人でもなければ、黒人でもない。だから彼が黒人社会に与えた影響を肌で感じることはできない。率直に言えば、この日本という島国で暮らす日本人のほぼ全てがそうであろう。それでもあの1996年アトランタオリンピック聖火リレー、アメリカ最高の競泳選手ジャネット・エヴァンスが聖火台への坂を上りきったそこに、パーキンソン病に冒されて身体の震えを止めることができない彼の姿を見た時、文字通り背筋に電流が走ったのだ。
上記までしたためてからかれこれ1時間ほど考えているのだけれど、書きたいことが多すぎていつまでも記事が終わる気がしない。彼はもう逝ってしまった。逝ってしまったのだ。彼の最も躍動していたその姿、ベストKO集を紹介して、最後にしたい。蝶のように舞い、蜂のように刺す。リング上で踊り続ける偉大な彼の姿は、いつまでも私の記憶に刻み付けられている。
R.I.P. Ali, the Greatest
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